気候変動というテーマについて、博物館が入館者の橋渡し役となるようにもう一歩踏み込むと、具体的にはどのようなことができるだろうか。国際人権博物館アジア太平洋地域連盟(以下FIHRM-AP)は、今年のICOMプラハ大会のメインテーマ「博物館の力」(The Power of Museums)に対応し、2020年の移動人権共同学習によるエンパワーメントモデルを引き継いで「気候変動と人権に関する問題」をテーマとする一連の共同学習活動を展開した。毎月の集まりによる実際のリサーチとワークショップ等の形式で5カ月間討論を続けたのだ。今回FIHRM-APは、12団体のNGO組織[1]及び9カ国の国立博物館2から関係部署を招待し、双方が気候と人権の問題のために共に行動を起こした。
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ICOM(国際博物館会議)大会は、今年の8月28日にチェコのプラハで開かれ、円満に閉会して間もない。新型コロナウイルスが世界中に感染が拡大したため、3年ぶりの開催となった第28回大会では、「博物館の力」をメインテーマとしてセッションのためのテーマが設けられたが、どれもが博物館と社会全体に対する新しい課題であった。関連し合う四つのパネルディスカッションのテーマは、「目的:博物館と市民社会」、「持続可能性:博物館とレジリエンス」、「ビジョン:博物館とリーダーシップ」、「発信:博物館と新しい科学技術」となっており、博物館関係者が一つのコミュニティとして、文化活動だけでなく、より深く関わる方法について包括的な討論に参加することが目標である。 博物館コミュニティの一員として、台湾の国家人権博物館も今回の会議に参加し、本館内部の展示と触れ合いスタイルの教育方法を紹介するとともに、移行期正義の更なる推進を主導し、現在の発展の様子を見据えていることを説明した。三日間の会議の中で、公共に対する犯罪犠牲者追悼のための記念博物館国際委員会(International Committee of Memorial Museums in Remembrance of the Victims of Public Crimes、略称ICMEMO)の発表後のセッションにおいても、幾つかの細心の注意が必要な差し迫った問題を提出した。 博物館とエンパワーメント:戦争時の援助 2月24日、ロシアが武力を行使してウクライナ東部に侵攻し、数万人の命が失われた。そしてウクライナの文化機構も攻撃を受け、特にアーカイヴの状況が極めて悪化した。バビ・ヤール・ホロコースト・追悼センター(Barby Yarn Interdisciplinary Studies Institute)のマルタ・ハブリシュコ(Marta Havryschko)所長は、現在ウクライナからスイスに避難しているが、一枚の表を示し、戦争により損傷を受けたか破壊された文化施設の数は、博物館36カ所、宗教建築物165カ所、遺跡・文化財219カ所に上り、その数は依然増加していると説明した。戦争は人々の人生と生活を変え、博物館がコミュニティを支援するという変化を引き起こした。ウクライナの博物館と文化機構のうち、バビ・ヤール・ホロコースト・追悼センターは、避難民の受け入れと温かい食事の支給を始めた。しかも無償でウクライナ人の人権を擁護した。市民を支援するほかに、当センターは別の法的執行機関を通して、例えばハーグ国際司法裁判所だが、ロシアに対する証言を集めると、ウクライナに関するファイルをデジタル化した。ファイルのデジタル化は二十一世紀の博物館には使命ともいうべき、もっとも重要な任務の一つである。ましてこのような戦争時には間違いなく正解だ。ウクライナでの生活の様子は想像もできないが、ハブリシュコ所長はそのような逆境下でさえ、博物館と文化施設は、単に学習する場所であるだけではなく、それ以上の役割を果たすという潜在的可能性を示した。 博物館とプロパガンダ 中立のように見える空間の中での政治的教化 博物館は文化と知識の媒体として、現代或いは過去の事件について伝え、偏見のない内容で提供することが責務である。それらの資料を見たときに、収蔵品でも書物でも、個人の人生や体験に由来する考え方が浮かんでくるはずだ。それぞれの研究が同様に示しているが、博物館の展示計画も博物館自体も、中立の立場を保つのは難しく、方法やディスプレーにも特定の事柄を語る視点が存在する。パヴェル・マチェヴィチ(Pawel Machcewicz)教授は、彼がポーランドのグダニスク(Gdańsk)で第二次世界大戦博物館を建立した際の実体験を例に挙げた。右翼主義者が、愛国主義のメッセージを伝えないのは国家への裏切りであると発言したのだ。博物館について、政府がいかに厳重にその方針を左右しているかが分かる。そのため博物館は建設中断、前例のない障害に直面してしまった。国家予算で文化施設を建設することには、事件にされるかもしれないというリスクがあるだから、ましてや全体主義政権下での文化施設の場合は言うまでもない。同じような見地で、チェコ共和国科学アカデミーのヴォイテック・キンチ(Voytech Kynci)氏は、チェコ共和国がソビエト化されたことを忘れてはならず、困難ではあるが重要な過去を強調すべきだとしている。 このような例を辿ると、カンボジアのS21(トゥール・スレン)から来たババラ・ティム(Babara Thimm)氏の発表も当てはまる。自分たちの仕事に疑問を持つ人に対応する場合は、事実に基づく資料を提供し、自分に証言させるよう仕向けるのだそうだ。S21はクメール・ルージュの支配下に設置された監獄で、現在は圧政者による苦痛と残虐行為を記録する博物館である。キューバのアーティスト、ジャンディ・パボン(Geandy Pavón)は同時に、アメリカに逃れた難民の為に、圧政者の政権下にある機関が言うことをまる呑みしてはならないと提起した。 博物館との対話:交流の継続が目指すより良い未来 21世紀の博物館は、みんなの空間である。博物館は選ばれた優秀な人の場所であると考える人がいても、ますます多くの教育関係者がふれあい体験形式やボトムアップ方式を導入し、外部の声を取り入れる傾向にある。博物館スタッフも人々とふれあう必要があり、市民のものがたりのみならず、歴史上の事件と市民社会の日常との脈絡を取り入れていかなければならない。ポルトガルとスペインの博物館スタッフ、アエダ・レクナ(Aeda Rechna)氏とアルムデナ.クルス・イェバ(Almudena Cruz Yeba)氏が紹介したのは教科書とは違う物語だった。両氏とも難しい歴史に継続して取り組むことの重要性を強調し、さらにコミュニティに呼びかけて共に事件の記憶を構築し、再度その文化遺産の掘り起こしに参加してもらうのだと語った。まだ知らないことと前例のないこととの間に橋を架ける必要がある。対話によって交流し、語ることが、すでに最も価値のある道具だと考えられているからだ。 人類学者であり博物館学者でもあるマルガリータ・レイエス・スアレス(Margarita Reyes Suárez)氏が、博物館と社会というテーマでの特別講演の中で強調したのは、観光という潮流のなかで博物館の資本主義化とアメリカナイズが進んでいることに注意すべきだという点だ。文化遺産は資本に頼るだけでなく、もっとさまざまな方法で保護する必要がある。スアレス氏は、博物館が人々のコミュニティを支える責任を取り戻してほしいと熱をこめて語った。そして彼女も西洋の視点から脱植民地化をはかり、文化的多様性にそのスペースを多く費やすことを強調した。 「博物館は耳を傾ける場所であり、人々の心の声が聞こえる場所であるべきです」。彼女は総じて述べた。 同様な精神に基づいて、ラディスラフ・ジャクソン(Ladislav Jackson)氏は、チェコにおいてそれまで神秘のベールに包まれていたクイアという存在を明らかにし、博物館がジェンダー・バイナリの覇権的な思考を振り捨て、慎重に進歩的に行動し、クィアの生存権と記憶を残す権利を直視することを呼びかけた。他の歴史の一篇と同じように、非異性恋愛者の生活と文物の記録にもファイル化が必要なのである。従って、博物館という場所もクィアであるスタッフや研究人員に対し、注意深く関心を寄せるべきである。博物館に好意的な市民とコミュニティにコミュニケーション・チャネルを開くことで、徐々に権利の平等へと辿りつき、さらに確実な記録を残せるようになる。 アレクサンドリア図書館から始まった収集と学習とは、長きにわたって博物館の創立の意義と要因として受け継がれ、その発展の歩みにおいて貫かれている。現代の博物館は、この使命を背負い、博物館という空間が抱擁する市民と使用者のために、さらに意義を持ち、受け入れながら大きく邁進していくのである。大会期間中、社会全体の力が集まることに、その強さが象徴されていた。現代の博物館は、一つのコミュニティとして団結すべきであり、今まで以上にあなた、わたしとすべて人との繋がりを強めることが、今この瞬間に必要である。
作者紹介:ナサポーン・ソンサワス(Nathaporn Songsawas) ナサポーン・ソンサワスは、タイのチュラロンコン大学で英語を専攻し、比較文学の単位も取得した学士である。現在はクロスカルチュラル財団のライターであり、人権研究アシスタントを担当している。クロスカルチュラル財団はタイの非営利組織で、タイの人々が平等な司法権を獲得できるように力を尽くしている。 活動団体の紹介:クロスカルチュラル財団 クロスカルチュラル財団(以下CrCf)は、2002年に成立したタイの非営利組織で、タイの人々の平等な司法権のために力を尽くしている。また、国際人権ネットワークと密接に協力し、原住民及び少数民族のエンパワーメントと社会的包摂を進めるために努力している。CrCfは以下の領域を専門にしている。 ・人権侵害事件の調査監督。正義のビジョンを呼びかける。すなわち人々が自分の権利を理解して実現できるようにする。拷問の予防。法的手続きを用いて人権を守る。タイ国境各府県の小規模集落で無料法律相談と具体的な支援計画を提供する。 「私たちが如何に凄まじい悲鳴をあげても、彼達は耳をかさない」 この言葉は、凧の形をしたキャンバスに書かれたメッセージの一つで、タイ深南部からの声をほかの地域に伝えるという約束を意味している。キャンバスというのは 「沈没(Submerged)」という展覧会に出品されたインタラクティブアートの作品の一つである。2002年6月10日から13日までタイ北部のパッターニー県で開催され、その目的は、タイ深南部で起こった各種の人権侵害の情報を外部に拡散するという意識を喚起することにある。
作者紹介:【駒井忠之】 1972年日本国、奈良県御所市生まれ。1998年の水平社博物館開館から学芸員として勤務し、2015年館長に就任。国際人権博物館連盟や「世界の記憶」などの事業を通して水平社創立の思想を世界に発信している。神戸女学院大学で人権論を担当している。共著に、新版『水平社の源流』(解放出版社、2002年)、『水平社宣言の熱と光』(解放出版社、2012年)、『近代の部落問題』(『講座 近現代日本の部落問題 1』、解放出版社、2022年)。 博物館紹介:【水平社博物館】 1998年5月、全国水平社発祥の地、奈良県御所市柏原に開館。人権文化の振興と人権思想の普及に資することを目的に、あらゆる差別問題や人権に関する情報を発信している。 2015年9月、ニュージーランドのウエリントンで開催されたFIHRM(国際人権博物館連盟)の大会に参加し、同年12月に日本の機関として初めてFIHRMに加盟した。以降、人間の尊厳と平等を求めた水平社創立の思想を世界中の人々と共有する取り組みを展開している。 2016年5月に「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」(水平社博物館所蔵史料5点)がユネスコのアジア太平洋地域「世界の記憶」に登録されたことを、ICOM(国際博物館会議)ミラノ大会やFIHRMロサリオ大会(アルゼンチン)でアピールし、現在その国際登録をめざしている。水平社創立100周年の2022年3月3日にリニューアルオープンした。 はじめに 全国水平社は人間の尊厳と平等を求めて、1922年3月3日、京都市公会堂で創立されました。その中心を担ったのは現在の奈良県御所市柏原で生まれ育った青年たちでした。 全国水平社の創立は、部落差別撤廃、自由と平等、人権の確立をめざす部落解放運動の原点であり、その精神は水平社運動に身を投じた諸先輩から連綿と受け継がれてきました。その闘いの歴史を後世に伝えるため水平社歴史館(1999年に水平社博物館と改称)は、水平社発祥の地である柏原に、全国からの寄附を基に1998年5月に開館しました。 共感を呼ぶ創立の理念 「人間を尊敬する事によって自ら解放せん」と叫び、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と発信された全国水平社創立宣言は、日本で初めての、また被差別当事者が発信した世界初の人権宣言と言われています。あらゆる人間のアイデンティティが肯定される社会を創造し、差別を許さない社会をともに構築していこうという水平社の創立理念は、部落の人びとだけではなく多くの人びとの共感を呼び、在日朝鮮人やウチナーンチュ(沖縄人)、アイヌ民族やハンセン病回復者らの自主的な人権回復運動の展開にも刺激と勇気を与えました。さらに、朝鮮の被差別民「白丁」(ペクチョン)にも影響を与え、1923年4月には「白丁」を中心として衡平社(ヒョンピョンサ)が創立されました。水平社と衡平社が連帯を求めて交流したその歴史は、人類の普遍的原理である人権、自由、平等、博愛、民主主義を基調とした記録で、その交流を示す史料が「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」として、2016年にユネスコのアジア太平洋地域「世界の記憶」に登録されました。また、水平社の創立は海外のメディアからも注目され、アメリカの雑誌『The Nation』は、1923年9月5日付の記事で水平社宣言の英語訳を掲載し、紹介しました。 水平社が解消を目指した部落差別とは 全国水平社創立宣言を理念として全国水平社が目標としたのは、被差別マイノリティである部落民に対する部落差別からの解放でした。部落差別とは、日本における前近代身分制社会の“穢多”身分とされた人びとに対する身分差別に淵源をもち、日本近代国家によって法的身分制はなくなり、また1871年には“穢多”身分は廃止されたものの、近代市民社会において新たに再編成された部落民に対する差別によって生み出された日本社会固有の社会問題です。この部落差別は、インドなどのカースト制度において“不可触民”、“アウトカースト”または“ダリット”と呼ばれた被差別カーストの人びとへの差別との類似性が指摘されています。 また、部落差別は1946年11月に公布された日本国憲法第14条において“社会的身分又は門地”に関わる差別と位置づけられ、1965年12月に国際連合第20回総会で採択された人種差別撤廃条約においては“世系”に関わる差別と位置づけられるように、その解決が現在においても国内的かつ国際的に重要な課題となっている人権問題です。 日本は1868年の“明治維新”によって近代国家として出発しましたが、前近代における身分差別は新たな差別秩序に再編され、近代市民社会の中で部落民に対する差別は継続されていきました。とくに1900年頃から部落差別は厳しさを増し、政府などによる上からの部落改善や部落民と部落外の人びととの融和が取り組まれるようになりました。 しかし、これらに満足しなかった部落民は、第一次世界大戦後に各地で自ら決起して部落差別からの解放を実現しようと、自由、平等、博愛をめざした自主的な解放運動を開始しました。この部落民の自主的な解放運動を展開したのが全国水平社でした。 人間の尊厳の実現へ 1942年に全国水平社は法的に消滅しましたが、水平社の人間の尊厳と平等を求めた創立理念はその後も継承され、部落解放運動は継続されてきました。 1948年に人権尊重の原則を定めた世界人権宣言が採択され、人権確立の潮流は、1995年「人権教育の国連10年」、2005年国際連合の「人権の主流化」提唱など大きなうねりとなり、世界の共通認識になりつつあります。さらに、2015年の国連サミットにおいては、誰一人取り残されることなく、地球上のすべての人が豊かで幸せに暮らせる未来を創造しようと、SDGs(持続可能な開発目標)が全会一致で採択されました。持続可能な社会のために17の目標と169のターゲットを設定するSDGsは人権がキーワードとなっており、「人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って突進す」とする水平社の「綱領」の思想と通底しています。日本で初めて国際人権博物館連盟(FIHRM)に加盟した水平社博物館は、「世界の記憶」やFIHRMの活動を通じて水平社の理念を世界に発信しています。 展示や人権情報の発信を通して人間の尊厳を実現しようとしている水平社博物館の活動は、さまざまな組織や団体の協力によって支えられ、推進されています。博物館の地元である柏原では、自治会を中心に各種団体で構成された水平社博物館地元協力会が1999年に結成されました。地元協力会は、来館者を暖かく歓迎しようと、博物館に近接する公園の整備をすすめ、植栽などをすすめています。 また、博物館が開催する事業を促進、支援するとともに、博物館の維持、発展に寄与することを目的に、奈良県内の教育、運動、宗教、企業、労働組合などの団体によって、水平社博物館協賛会が結成されました。協賛会の加盟団体のひとつで、水平社運動の精神を基盤として部落解放運動を継承している部落解放同盟奈良県連合会は、水平社博物館の入館券を毎年一定数購入し、博物館への来館を促進しています。さらに水平社創立100周年記念事業となった水平社博物館の展示リニューアルにあたっては、協賛会などと協働して展示内容の検討に取り組み、さまざまな視点からの意見を取り入れられたことによって、より充実した展示内容となりました。その結果、多くの見学者から感銘を受けたとの感想が寄せられています。 さらにリニューアルしたエピローグコーナーでは、著名人が遺した心に響く言葉や、一般市民から寄せられた「心に残った言葉」を展示しています。水平社が発信した「もっと暖かい人の世を」など、白い空間の壁面に固定の言葉を展示し、さらに壁面に設置した5台の大型ディスプレイでは来館者の心を打つ言葉が次々と浮かんでは消えていきます。「言葉の美術館」と名付けたこのコーナーでは、「心に残った言葉」を今後もひろく公募することにしています。誰もが参画できるこのコーナーが、人間の尊厳を実現するそうした想い共有する空間になることを願っています。 もっと暖かい人の世を 1922年の水平社創立以降、部落差別を撤廃する運動は、国内外の人権を確立する動きとともに100年にわたって展開されてきました。しかし現在においても日本では、全国水平社を創立した被差別マイノリティに対する差別が結婚や不動産の契約などで表面化し、完全に払拭されたとは言い難い状況にあります。 また、部落との関りを忌避する人々の誤った意識に乗じ、そうした意識を悪用して、例えば、部落問題に対する理解が足りないなどという理由で難癖を付けて高額の書籍を売りつけるなど、部落問題を口実にして、不当な利益や義務のないことを求める行為が横行しています。こうした行為が偏見や誤った意識を植え付ける原因にもなっています。さらにインターネット上では、部落を誹謗中傷する内容の書き込みが絶えず、差別を助長する原因となっています。 こうした状況を鑑み、国内においては2016年に「部落差別解消推進法」、「障害者差別解消法」、「ヘイトスピーチ解消法」の「人権三法」が新しく制定されました。さらに2019年には「アイヌ施策推進法」も施行されました。 このような部落差別の現状や人権に関する動向を見据えながら、人権運動相互の絆、まちづくりによる人の絆、差別克服への努力を基軸にした部落解放運動が、奈良から新しく発信され展開されています。水平社博物館もこの運動と協働して人権情報発信基地としての役割を担い、全国水平社の人間の尊厳と平等を求める理念、差別を許さない不屈の精神を継承し、その想いを未来につないでいます。 「もっと暖かい人の世を」と願い、その実現をめざした水平社創立の思想を共有し、誰もがありのままの自分で、リラックスして生きていくことができる寛容で包摂的な社会をともに創造していきましょう。 水平社博物館に来館されたみなさんが、この想いに共感し、賛同くださると私たちは確信しています。 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」。 【資料】 1922年3月3日に開催された水平社の創立大会で採択された「綱領」と「宣言」 ※後日英訳を送ります 綱領 一、特殊部落民は部落民自身の行動によつて絶対の解放を期す 一、吾々特殊部落民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以て獲得を期す 一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向つて突進す 宣言 全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。 長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。 吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。 水平社は、かくして生れた。 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 大正十一年三月 水平社
前書 FIHRM(国際人権博物館連盟)成立の主旨は、人々に人権議題への関心を高めてもらうように、博物館として積極的に民主主義とそれを含む問題に取り組むことである。2022年のFIRHM大会は、ノルウェー民主主義と人権博物館ネットワーク(Demokratinetverket)の主催で九月にオスロで行われた。三日間の会議の場所に選ばれたのは、民主主義と人権の象徴として重要な、オスロを代表する場所-エイズボル憲法博物館(Eidsvoll 1814)、ノルウェー平和センター(Nobel Peace Center)、そしてユダヤ人大虐殺と少数民族研究センター(HL-center)であり、格別な意義が含まれていた。 会議で主に討論されたのは、人権と民主的考え方が圧迫を受けた場所で、慎重に多面的な見地からどのように人権博物館の自主権と柔軟性を捉えるか、政府とコミュニティはどのように協力し又どのような圧力に向き合って発展するべきか、そして博物館は人々が役割を果たす上で何ができるかであり、そのような話題に議論が深まる活動が展開された。第二部では、現在世界中にある人権博物館の現状を説明し、さまざまな角度から社会、文化と政治の中で許容され或いは排斥されている問題を解決するにあたり、人権博物館の実行可能な方法と策略を建言した。参加者はヨーロッパ、アジア及びアメリカにわたるが、FIRHM-AP主席兼台湾人権博物館館長・洪世芳とFIRHM-APの一員であるチベット博物館のテンジン・トップデン館長もその盛大な会議に出席した。 博物館が直面する人権問題への内外の圧力とその挑戦 全ての人間が平等であるという考え方は、理想的な社会には不可欠な精神だ。しかしながら、ユートピアへの道は依然として険しいものがある。初日の会議では、ICOM国際倫理委員会(IC倫理)主席でありベストアグデル・ミュージアム(Vest-Agder Museum)のベテランキュレーター、キャサリン・パブスト(Kathrin Pabst)氏は、人権博物館は挑戦していけると示している。博物館が直面している五つの圧力、それは同僚間の揉め事、過去を抹消する試み、突如襲いかかる政治の干渉、戦争による破壊、そして国の文化遺産保護という企てである。これらの圧力の源は外部と内部に分かれており、内部は博物館組織内部の人間から、外部は現地の社会や政府から来ている。 けれども、危機は転機にもなりうる。人権博物館は課題に直面しているが、圧力は前進を後押しする可能性を秘めているのだ。欧州博物館フォーラム(European Museum Forum)理事会会長―ジェット・サンダール氏は、博物館がその可能性にどう対応するかを手引きするために、 多くの圧力と危機に直面する上でさらに一致団結を強め、何世紀かにわたって続いてきたアメリカ例外主義に囚われないよう努力すべきであると語った。自らが描いた円の中に留まらず、勇気を持って快適な圏内から踏み出して欲しい、そして人権において例外はないのだから、一緒に前進するパートナーを探してほしいのだ。博物館スタッフには、勇気を出して内部の各部署が権力と共謀する風潮に影響されやすい気質に反対し、固い信念を持ってその役割を発揮することで、困難と問題に立ち向かって欲しいのだ。 このような一致団結の精神を如何に博物館で具現させていくかについて、次に、リバプール国家博物館(National Museums Liverpool)とレスター大学(University of Leicester)の学者らによる実践の案例を示す。 博物館の異業種交流による港湾地区改造計画 リバプール国家博物館とレスター大学は、港湾地区改造計画の展開について討論を行った。当計画は、その役割を果たす様子が顕著に見られる最適のケースであり、各方面と協力して共に地域コミュニティの発展を促し、平等な社会の実現に邁進している。 港湾地区改造計畫は、博物館が現代社会とつながりを保ち、リバプールを象徴する港から出発して歴史や遺産、コミュニティと観光とを結びつけるためのものだ。観光客にとってはさまざまな体験ができるようになったほか、付近のコミュニティで環境改善を促進する役目も果たしている。一カ所の博物館との単なる提携業務にとどまらず、現地の人々にも力も貸してもらい、共に新旧融合を果たした街づくりを行ったのだ。
作者紹介:エルパン・ファリアディ(Erpan Faryadi) エルパン・ファリアディ(Erpan Faryadi)は、リンク・エーアール・ボルネオ(Link-AR Borneo)という団体のプロジェクトマネージャーである。正式名称を「ボルネオ州のアドボカシーと研究のグループ(Advocacy and Research Circle of Borneo)」というこの団体は、西カリマンダン地区(West Kalimantan)の民主と人権、自然資源、気候変動そして人民の権利を擁護するために活動し、教育と研究に努めている。 リンク・エーアール・ボルネオ リンク・エーアール・ボルネオ(Link-AR Borneo)は、2009年4月2日に成立したNGOで、正式名称は「ボルネオ州のアドボカシーと研究 のグループ(Advocacy and Research Circle of Borneo)」である。採掘産業による土地、森林及びそこに含まれる天然資源をめぐる大きな問題に対処するためのアドボカシーを行う目的で設立された。世界の巨大産業に供給するために原材料の必要性を優先するという、政治経済的利益によって引き起こされた問題だ。これらの状況は、豊富な天然資源を有するボルネオの大地と密接に関係している。上記の状況を鑑み、リンク・エーアール・ボルネオは、証拠に基づくアドボカシーを開始し、その方向性は、地域社会の利益と持続可能な生態学的正義と明らかに一致している。その後も積極的に、人権の支持と擁護、公正で持続可能な森林と土地管理の改革、そして関連する地域社会の独立を奨励することに取り組んできた。 今こそ、インドネシア政府のコロナ対策と措置、人権の尊重を含めそれらが人々にどのような影響を与えているかを評価する絶好の機会である。 2020年の1月から3月にかけて、インドネシア政府の官吏は新型コロナウイルス感染症の拡大に対して真剣に対応せず、ウイルスを過小評価したばかりか、ウイルスの存在をも信じていなかった。同じ頃、インドネシア副大統領は宗教指導者の祈りがあれば、コロナウイルスはインドネシアに降りかかることはないと述べた。ジョコ・ウィドド大統領でさえ「インドネシア国民は、薬草を飲むことでウイルスを封じ込めることができるだろう」と発表し、国民の誤解を招いた。インドネシア政府は、このように非科学的にコロナウイルスに対処していたのだ。(2020年3月16日のインドネシアCNNニュース“Media Asing Soroti Jokowi Minum Jamu Untuk Tangkal Corona” 参照) インドネシア政府の防疫措置 2020年3月、世界保健機構(WHO)が新型コロナウイルス感染症の世界的大流行を「パンデミック」と宣言した時に、インドネシア政府は本来ならば、医療の専門家、特に感染症の専門家や疫病学者に意見を求め、体系的な防疫措置を講じて国内の感染拡大を止めるべきだった。しかしながら、健康の問題であるにもかかわらず、政府が医療専門家の意見に耳を傾けることはほとんどなく、時には専門家の意見を過小評価したので、政府と医療専門家の意見が対立することもあった。2020年4月以降、インドネシア政府はインドネシア国軍(Indonesian National Armed Forces, 略称TNI)と警察の監視下で国民に外出禁止令を公布し[1]、宗教活動と行動の自由を制限して集会やデモを禁止した。これらは、人権の、特に市民的及び政治的権利において、潜在的侵害を招くものである。 WHOのパンデミック宣言以後、インドネシア政府は確かに政策として措置を講じたが、それを国内全土に行き渡らせていなかった。公共衛生の専門家は、ジョコ・ウィドド大統領の防疫措置は速度が遅すぎて、国民を安心させることができないと考えていた。(2020年3月16日インドネシアBBC ニュース“Virus corona: Jokowi umumkan langkah pengendalian Covid-19、 tapi tanpa komando .”参照) インドネシア政府は、また毎月防疫の宣伝文句と政策を発表したがる。感染拡大防止にはあまり役立たないが、この大流行に対し、体系的な方針を立てられないインドネシア政府の狼狽ぶりを露呈していると言える。 2020年12月ジュリアリ社会相に贈収賄の疑いがかけられた。新型コロナウイルス対策として実施された貧困層への生活必需品支給に関するものだった[2]。国民がコロナ禍で苦しくもがいている時に、役人はみっともないスキャンダルを起こしていたのだ。 コロナの感染者数と死亡者数が増えるにつれ、インドネシア政府の防疫は困難を極めた。政府は人民の健康に生きる権利(基本的人権の一つ)を保障しなければならない。例えばそれには、防疫最前線にいる医療人員の十分な装備の確保も含まれる。だがコロナウイルスの深刻な病状に対し、インドネシア政府はほとんど何の助けの手も差し伸べていないと言える。感染者数と死亡者数は、2021年6月中旬から未だに収まっていない。 コロナ禍 インドネシア国民への影響 政府が感染ルートを断ち切るために、2020年4月に「大規模な社会的距離制限措施」(PSBB)の実施を発表したが、この措置は、WHOの掲げた2つの目標である感染拡大防止と死亡者数抑制を達成できず、完全に失敗した。政府は国民の健康と経済の発展に優柔不断であった為に、2021年7月、コロナはインドネシアでさらに蔓延した。 2021年7月3日から20日まで、インドネシア政府は感染拡大防止と死亡者数抑制のため、ジャワ島とバリ島に防疫緊急措置(PPKM)を実施した。それ以外の小規模行政区域には、「緊急小規模社会活動制限の措置」 (PPKM Mikro Darurat)、を実施した。しかしながら、これの措置は感染防止には効果がなく、感染者数と死亡者数は増え続けている。 インドネシアのコロナ禍における市民社会団体の役割 インドネシアの市民社会団体(C S O)は、インドネシアの改革開放時代やポスト権威主義時代から活動している組織だ。その団体の多くは、人権や気候変動、健康、法の改正、食糧主権、地権と土地改革、農民と労働者などの問題に積極的に役割を果たしてきた。また、例えば医師、弁護士、農業専門家などを含む多くの団体と個人をその活動に帯同しているので、団体の信頼性は高く、専門分野での経験が豊富である。実は、彼らこそポスト権威主義時代(1998年後)の民主主義の発展に貢献してきた人々である。 彼らは常にインドネシア政府の防疫措置に注目している。例えばLaporCovid-19市民連合の場合は、コロナが猛威を振るい始め、政府が公式にその存在を認めた2020年3月の初めに、コロナ禍での人権と公共衛生に関心を持つ人々によって結成された。 彼らは市民が通報できるプラットフォームを構築し、これまで政府が把握できず、彼らの知り得た情報を人々と分かち合っている。市民が参加してクラウドソーシングを使って感染者数を記録し、近隣地区にコロナ関連の情報を伝えることで、国内の感染者数を記録するネットワークのかけ橋渡しとなっている。そのネットワークによって、政府と国民は国内の感染の分布と規模などの情報を得ることができ、政府も彼らのプラットフォームに集まったデータを使って防疫措置と対応を計画することができる。 LaporCovid-19は以下の市民団体で構成されている。インドネシア法律扶助協会財団(YLBHI)、テンポマガジン(インドネシアの雑誌)、バンドのエフェク・ルマ・カチャ(Efek Rumah Kaca)、国際透明性機構インドネシア(Transparency International Indonesia)、ロカタル(Lokataru)、人権基金会(Hakasasi.id)、U-Inspireインドネシア(国際的な青少年ネットワーク)、STH Jentera(法学校)、NarasiTV(メディア)、ルジャック都市研究センター(Rujak Center for Urban Studies)、そしてインドネシア汚職監視団I C W(Indonesia Corruption Watch)。インドネシア法律扶助協会財団(YLBHI)は人権擁護団体で、1970年代からインドネシア政府の人権義務の執行を監督し続けている。テンポマガジンはテンポグループに所属し、人権、環境、汚職などの問題に関心を注いでいる。 LaporCovid-19のうちインドネシア汚職監視団I C W、インドネシア法律扶助協会財団、経済社会教育研究所(LP3ES)、ロカタルで構成された市民社会団体は、インドネシア政府の防疫措置が混乱していることを強調した。2020年3月初めの爆発的感染拡大以来、インドネシア政府はパンデミック対策に失敗し、成果が上がっていないとこの団体は見ている。 LaporCovid-19は次のように発表している。政府の防疫措置は問題があるので、死亡者数の上昇を防ぐことができなかった。もし政府が感染拡大のピーク時に予防と防疫措置を講じて断固として実施していれば、死亡率は最初からこれほど高くはならなかった可能性がある。(参照レポート:Kasus Meninggal Melonjak & RS Kolaps, Negara Gagal Tangani COVID?",Tirto.id、2021年7月6日,https://tirto.id/ght5)2020年にインドネシア政府が695.2兆ルピア(約台湾$1.4兆元)を防疫に投入しても、最終的に成果はかんばしくなかった。(コンパスニュース参照、2020年12月20日、“Kebijakan Pemerintah Menangani Covid-19 Sepanjang Semester II 2020.”)